こんにちは。町田明生晴です。
心理セラピストの私にとって、「幸せに生きる」は大きなテーマの一つです。
理由はシンプルで、どうせ生きるなら「自分もクライアント様も、幸せな方が良い」と、考えているからです。
ただ、私の人生を振り返れば、必ずしも幸せだったわけではありません。なので少し私のお話をさせてください。
私の人生は、どちらかというと波乱万丈でした。
私の幼少期、父親はお酒を飲むと暴力が激しく、いつも全身が青アザだらけだったことを覚えています。そして小学校や中学校は、とても生き辛かった。
もちろん楽しいこともありましたが、楽しさと苦しさを比較したら、辛かった子供時代だった気がします。
高校には行きました。しかし大学受験には失敗し、しばらく進学せずにアルバイトやギャンブルばかりで、自暴自棄に過ごした青年時代でした。
その後、遅ればせながら大学に行き、私は就職しました。しかしながら、いわゆるサラリーマンとしてお勤めさせていただくにことが、個性的過ぎて上手くいきません。
自分がおかしいと思うことや納得いかないことが、ほとんどできなかったのです。協調性なしということで、仕事が長く続くことはありませんでした。
証券会社、外資系通信会社、コンピューターの会社と転々としながら、地に足がつかない20代を過ごしました。
サラリーマンとして勤まらないなら自分でやるしかない、、、私は29才の時、2000年頃のインターネットの登場に乗っかって、WEB制作とマーケティングの会社を起業したのです。
ところが、この頃すでに結婚していた私は、一回目の離婚を経験することになります。
20代は、まるでジェットコースターのようでした。就職、転職、結婚、起業、そして離婚。さらに引っ越しは15回以上になっていました。若いからできたのだなと思えることが沢山ありました。
30代の前半は、その後の再婚相手にもなるビジネスパートナーと出会い、共同ビジネスを開始しました。
彼女とはビジネスの歯車がうまく合い、その後、宝石鉱石の輸入販売、パワーストーンショップ、さらにイベント企画とスクール事業を展開することになります。
時代の流れに乗れたのでしょう。売り上げはあっという間に年商2億円ほどになりました。
利益も十分にあり事業が伸びていたことから私は2回目の結婚をします。
ところが、チャンスと思って借り入れをし、人員を増やして事業を拡大しようとしたらリーマンショックが起きました。その後は競争も激しくなり、売り上げも急激に減りはじめました。経営は厳しくなっていったのです。
そんな中で追い打ちをかけるように、家族の病気があり、さらに妻にはガンが発見されました。私の余裕はどんどんなくなり、会社経営もどんどん厳しくなりました。
そして妻が亡くなります。家族的にもダメージを受け、事業も失敗をしていきます。
借金は億を超えていますし、会社は頑張っても回りません。死別の悲しみだけでなく経済的な厳しさ、対応しきれない状況が続きました。
この時に、私も一旦「命をあきらめた」という記憶があります。
その後も、借金、差し押さえ、民事裁判などを次々と処理していく必要がありました。お金がなかったので弁護士も雇えず、自分で裁判所に出かけました。
この頃の私は明らかに不幸でした。
「幸せに生きたいのに、なぜこうなのだろう?」
「神も仏もいないし、もしいるなら神も仏もぶっ殺してやりたい!」
「生きているのが辛い。。もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ。。」
そんな思いで、生きているというより、ただ息をしていた時期だったかもしれません。
そんな死の淵に近い状況から、私は自分を癒して生きることを選択していきました。
決めた理由はシンプルでした。
単に死ぬ気力すらなかっただけです。
ただ振り返ってみれば、その他にも、私が死ななかった理由は二つあったかと思います。
ひとつは、あまりにも絶望的に対処できない状況に陥ったために、すべてをあきらめて「開き直った」ことだと思われます。
この開き直りに至るまでには、少し面白い経緯がありました。
死別後の深い悲しみに襲われ、お葬式のお金もなく、事業も立ち行かず、借金や残務の対応ができず、私はどんどん追い詰められました。
そもそも妻の治療に全財産を使っており、さらにスタッフの手違いがあったために生命保険すらでませんでした。
実際問題、住む家も家財もなくなりました。やるべき課題が多すぎて限界が来ました。あまりにも苦痛で、全身は痛み、意識が遠のき、眠れない日が続いたある日だったかと思います。
突然、全身が気持ちよくなって痛みも全部消えていくんですね。
不思議な現象だと思いましたが、今考えればランナーズハイのように、限界を超えたり、痛みが過剰なために、脳内麻薬が大量に分泌されたのではないかと、思われます。
そんな中で、ふっと、思ったのですね。「もういいや。全部やめよう。大の字に寝転がって、ただ煮るなり焼くなり好きにしてもらおう」と。
そして、すべての業務や処理をですね。。もう心と体がもたないということで、あきらめて、やめてしまったのですね。
もちろん、お金を回収に来る方々は、当然来られます。また、家の処分や、モノの処分、さらには、ご迷惑をお掛けせざるを得ないところも沢山ありました。
怒る人、去る人、交渉する人、訴える人、沢山おられました。もちろん当たり前です。その方たちは全く悪くありません。でも、私はごめんなさい。ということしかできませんでした。
そして、最終的にあきらめたときに、驚くべきことに気づいたのですね。。。。
捨てる神あれば拾う神ありなどというセリフには収まりませんが、驚くべきタイミングで助けてくれる人が現れたり、実際にもサポートしてくれる人が沢山でてきてくれたのです。
そして、それだけではないのです。
言葉では伝わらないかもしれませんが、明らかに物凄い見えない力、、、宇宙のサポートといいましょうか、、、見えない存在達の力と言いましょうか、、、圧倒的に支えられていたし、支えられていることに気づかざるを得なかったのですね。
そして、さらに気づくことになりました。過去今まで自分がやって成功と思ってきたことも、殆どは私がやったのではなく、起きていたし、9割以上は見えないサポートの力でなされていたことを。。。
なんだ、、、私はただ生かされていたのだ。。。
私が44歳の時の気づきでした。
私は再び自分を癒し始めます。
少しづつですが活動を始めた私は、なぜ不幸が起きたのか、真の幸せとは何か、を見つける旅に再びでることになりました。
続く
幸せとは? シリーズ 記事リンク集
第一話 https://blog.trt33.jp/2020/08/23/01/
第二話 https://blog.trt33.jp/2020/08/24/02/
第三話 https://blog.trt33.jp/2020/08/24/03/
第四話 https://blog.trt33.jp/2020/08/25/04/
第五話 https://blog.trt33.jp/2020/08/25/05/